いつか、きっと。

 本当に、綺麗だと、そう思った。

「皆さん、よく来てくださいました。どうぞこちらへ」
 生徒会同士の交流を定期的に催している間に顔馴染みになった羽ヶ崎学園の執行部の小柄な少女が赤城を初めとするはばたき学園生徒会のメンバーを校門の前で出迎えた。そのまま彼女の案内を受け、校内へと足を運んだ。

 今日は羽ヶ崎学園、年に一度の学園祭だ。校内はいつも以上に活気に満ち、生徒たちが慌しく廊下を小走りに行き来している。その都度案内役の彼女が廊下は走っちゃダメですよ、と注意をするものの、お祭りに学園中が浮かれている。今日は一日この調子だろう。招待客である自分たちにもその楽しさは校内のあちこちから伝わってくる。

 通された執行部の部屋の中もやはりばたばたと慌しく人が出入りしていた。見知った顔も軽く挨拶をした後にすぐに部屋を飛び出していく。部屋の中もいくつもの印刷物や、手書きでチェックが山のように入ったメモ書きが机の上や壁に掛けられたボードに溢れている。

「こちらがプログラムです。どうぞごゆっくりご覧になってください」
「ありがとう」
 印刷されたプログラムにざっと目を通すとあるページに目が留まる。

『体育館ステージ、手芸部ファッションショー。11:30~
手芸部員の活動の成果をこのショーで是非ともご覧ください』

「手芸部ってね、文化祭でファッションショーするんだよ。ステージの上に立つのって緊張するけど、すっごい楽しみなんだ」
「へえ、そうなんだ。そういやうちも手芸部はファッションショーだな。ひょっとしてうちの真似した?」
「もー。赤城くんやっぱり一言多い。…でも元々花椿先生が始めたらしいから元祖はそっちなんだろうね。聞いた話だとはばたき市内の学校ではかなりやってるみたい。やっぱりウエディングドレスは女の子の憧れだもん。みんなやりたくなっちゃうんだよ」

 いつだったかそんな話をした。
 それを思い出した途端、胸の奥がずきりと痛んだ。

 一緒に回ろうと誘われた同行した生徒会メンバーの誘いをちょっと見たい展示があるから行ってくると断って彼は体育館に向かった。時刻は11時23分。ショーのスタートには十分間に合うだろう。プログラムの校内地図を見ながら体育館へ向かう。

 廊下で、特徴のあるグレーの制服が目に入る。ここが羽ヶ崎学園である以上それはごく当たり前のことなのだが、どうしても、彼女のことを思い出してしまう。

 突然の雨に一緒に雨宿りをすることになった彼女。
 たまたま学校に行くことになった日曜日、バスで彼女を見つけ、出来すぎた偶然に感謝したこと。
 小腹を満たすために入ったハンバーガーショップで彼女に再会し、自己紹介がようやくできたこと。
 羽ヶ崎と自分の学校の生徒会が互いに行き来していると聞き、また会えるだろうかと胸を高鳴らせたこと。
 苦労してチケットを取ったコンサートに一緒に行こうと誘ったときの嬉しそうな彼女の表情。

 ……そして、自分の誤解で彼女を酷く傷つけてしまったこと。
 まだ、そのことを謝れないでいること。
 あれから、一度も会ってないこと。

 どんな顔をして、彼女の前に顔を出せると言うのか。
 廊下で彼は逡巡する。もう自分にはその資格がないのではないだろうかと。
 けれども、僕は。

 あのときのことを、謝りたい。
 勘違いして、ゴメンって。
 許して、ほしい、と。
 そう言えたら、どれだけいいだろう。

 直接話が出来るとは思ってはいない。けれど、少しだけ。彼女の顔が見たかった。

 体育館は既にかなりの数の座席が埋まっていた。後ろの方しか開いてないのは今の彼には都合がいい。出入り口近くの席に腰を下ろす。
 ステージでは次から次へと衣装が披露されていく。シンプルに仕立てたもの、カラフルに装飾を施したもの。嬉しそうに、楽しそうに、誇らしげに。この日のために時間をかけて衣装を縫い上げた少女たちが自らそれを着てステージに現れる。カラフルなライトが追いかけ、明るく弾けるような音楽が場を盛り上げていく。

「お待たせいたしました。いよいよクライマックス、3年生の登場です。今日のために縫い上げたウェディングドレスをどうぞご覧ください!」

 アナウンスがそれを告げると、照明や音楽もゆったりとしたテンポに切り替わり、場をドラマティックに演出する。そんな中、最初のモデルが姿を現した。
 数人の後に、淡い桜色のドレスを着たモデルが登場した。彼女だ。少し長めのトレーンをゆるやかに引きながら、他のモデルの少女たちと同様に誇らしげな表情で、まっすぐ、ステージ中央へ歩いてくる。慣れない裾さばきにも、高いヒールにも動じていない。正面から照らすライトの光で身に着けたアクセサリーがきらきらと光を放ち、柔らかい光沢のある生地で作られた優雅なラインが彼女を優しく彩る。

 ただ、綺麗。
 他に言葉が出てこない。

 彼には他の誰よりも、彼女が綺麗に見えた。
 いや、他の誰かなど目に入らなかった。
 
 君しか、見えない。
 負けん気が強く、強情っぱりで。けれども、優しくて、素直な、君が。
 今日はもの凄く、綺麗で、眩しい。

 ステージ中央で彼女が一礼する。頭を下げ、一呼吸の後に頭を上げたその時。自分の視線と彼女のそれが合った。……いや、そう思えただけだろう。自分の席は一番後ろの位置。ライトもここまでは届かない。そのまま彼女はステージをまたゆっくりと立ち去った。

 そして、カーテンコール。1年生から順番にステージ上へ再び現れる。そうして、再び彼女も。満面の笑顔で仲間たちとショーの成功を喜んでいた。拍手で溢れる客席に向かってウエディングドレス姿の3年生が一斉にブーケを投げる。客席のテンションが更に上がり、盛況のうちにショーは幕を閉じた。

 まだまだ余韻の残る客席で、赤城はふう、とため息をつく。
 今、この場で分かったことがある。
 やはり僕は、君が好きなんだ。あの雨の日からずっと、その気持ちは変わらないんだ。

 君が、好きです。他の誰よりも。

 ならば、僕がするべきことは、ひとつ。

 けれど、ゴメン。まだ僕にはその資格がないとも思ってる。
 だから、もう少しだけ時間をください。

 待っていて、なんて言わない。
 僕が君に追いつけるように駆け足でそこへ向かうから。

 彼女の消えたステージの奥をもう一度見つめ、席を立つ。そしてくるりと背を向けて歩き出す。いつかきっと、彼女の隣に立つために。偶然に頼らなくても、そこへ辿り着きたいから。

 ここから、一歩ずつ。歩いていくから。