星の音を奏でる学び舎に

 きっかけは、確かに自分であった。と、後に報道部員にして、彼らのアンサンブルの強力な助っ人である天羽菜美は彼らに語った。

 けれど、そのときは、そんなことになるなんて、これっぽっちも思ってなかったのだ。

 文化祭初日。翌日にアンサンブルのコンサートを控えた彼らのバンド演奏が発表された。アンサンブルの練習の合間を見て練習を重ねた彼らの演奏は、畑違いで不慣れながらもそこそこ纏まっていて、ステージ慣れしている分、大きな盛り上がりを見せていた。
 火原のドラム、柚木のキーボード、土浦のベース、志水のパーカッション、そしてある意味見物でもあった月森のギター(一部生徒の間では『あの』月森がギターだって、とプログラムの発表以降大騒ぎとなった)に加え、『ウワサの転校生』加地の加入、そして、普通科ヴァイオリン弾きとして校内で著名な日野香穂子のヴォーカル。

 春のコンクール以降、学内での知名度も人気もそこそこあったメンバーが秋からはアンサンブルメンバーとして活動を始め、文化祭ではバンドにまでチャレンジするということで、注目度も高かった。天羽が初日午前中に冬海笙子と配ったチラシも早々と無くなっていた。盛り上がるのはある意味必然とも言えただろう。

「すっごいよかったよねえ。……アンコール、とか言ったら、ひょっとして、やってくれちゃったりするかなあ」
「……いいですね、アンコール。香穂先輩たち凄く素敵でしたもの。もう一回、聴けると嬉しいかもしれません」
「でも、無理だよねー。流石に」
「そうですね、流石に」

 最前列に陣取った天羽と冬海は彼らの演奏を目いっぱい楽しみ、その熱気にのぼせていた。間違いなく天羽に関してはそうだった。

「でも、一回だけ言っちゃおうっと。――アンコールぅ!」

 アンコール。
 奏者に対する賛辞。もう一度聴かせてくれ、という呼びかけ。
 天羽のそれは、彼らの演奏に対する彼女なりのささやかな賛辞。の割には、かなり大きな声だったが、気にしない。どうせこの一声だけだ。

 だが、その直後。

 アンコール!
 アンコール!
 アンコール!

 あっという間にそれがあたりに波及した。

 それに真っ先に答えたのは恐らく柚木親衛隊の誰か。時折柚木様~と黄色い声が混じっている。それを皮切りに、火原の連れだの、土浦のサッカー部の関係者だの、オケ部の誰かだの、客席のそこここから声が飛び交い、会場中を埋めてしまう。

「皆様にご連絡します。次の演奏の妨げになりますのでどうかお静かに……」

 実行委員による場内へのアナウンスがそれをどうにか沈めようとするが、そうしてしまうと、余計に盛り上がってしまうのが世の慣わし。

 だって、今は文化祭。正に祭の真っ最中なのだから。

 アンコール!
 アンコール!
 アンコール!

「ちょっと待って、ホントにアンコールぅ?」
「……時間とか、大丈夫なんでしょうか」
 天羽と冬海は背後の熱狂にただ、呆然としていた。

 そんな彼女らの思惑なんぞまるっと無視して、アンコールを求める声は止みそうにもなかった。

 アンコールの渦が巻き起こって既に幾ばくか。
 ステージ裏では、アンコールを決行するかどうかで実行委員のやり取りが続いていた。既に予定をいささか遅れ気味で進行していたため、これ以上押していいものかどうか。かといって、この状況で次のバンドを送り出したところでブーイングの嵐になるのは回避できない。そうしている間に、現場を回っていた実行委員長とようやく連絡が取れた。
「はい、そうなんです。ちょっと今こっちが……ええ、そうなんです。はい。……はい! はい! 分っかりました! ゴーですね! ええ、行きますよ! 時間相当押しますが対処よろしく!」
 通話を終えて、ぱちん! と音を立てて携帯電話を閉じた。
「アンコール、行きます! 各所、連絡とスタンバイよろしく!」
 決定事項を周りにはっきりと聞こえるように伝達する。ぱっと円陣が解け、委員達が持ち場へ戻っていく。そんな中、出演者案内係の腕章を付けた女子生徒が楽屋に向かって走り出した。ばたばたと音を立て、勢いよく演奏を終え、片づけをしようとしていた彼らのいる楽屋に飛び込む。

「『日野バンド』さん! アンコール、お願いします! 何でもいいんで、一曲。準備出来次第出てください、じゃ!」

 決定事項を伝え、彼女は再びばたばたと戻っていった。恐らく、次以降のバンドに伝達に走ったのだろう。仮の名称で提出した『日野バンド』が実行委員会中に定着してるのは正直こっ恥ずかしいのでどうにかして欲しいと思わなくもないのだが、訂正するにも、今日で終わりのバンドなので、まあいいか、と香穂子が思ったのはさて置いて。

「うわあ、本当にやっちゃうんだ」
「まあ、確かに。この状況を収めようと思ったら、アンコールに応じてしまう方がいいかもしれないね」
「何だか、またテンション上がって来ちゃうよ。わくわくしてくるね!」
「おいおい、本気か実行委員? 既に何分だか押してるんじゃなかったか」
「既に予定を二十五分ほどオーバーしている」
「えーと……あれ、バンドの名前、お伝えしてありました、よね……?」
「志水くん、今その話じゃ」
「ああ、そうですね。すみません。……アンコールでした。何を、演奏するんでしたっけ」
「何って、わたし達、バンドの持ち歌一曲しかないじゃない」
「ああ、じゃあ、アレをもう一回でいいんですね」
「うん。それでいいんじゃないかな」
 だって、それしか出来ないもんねー、と志水と頷きあった香穂子だったが、

「えー、アンコールだよ? 折角呼んでもらえるんだから違う曲やろうよ」
 と、あっけなく却下された。

「でも火原先輩、わたしたち、違う曲なんて練習すらしてないじゃないですか」
「んー、どうにかなるんじゃない? ほら、みんなが知ってる曲とかだったら」
「加地くんまでそんな」
「そりゃだって、同じ曲二回ってのはあまりにも芸がなさすぎだろう」
「土浦くん」
「……確かに、俺達は演奏者としてアンコールを受けたんだ。だったら、アンコール用の曲でステージに上がるのが筋だろう」
「月森くんまで?」
「じゃ、決まりだね。何をやろう?」

 演奏者としてのプライドがあっけなく持ち歌(と書いてネタと読む)の尽きたはずの彼らを突き動かし、柚木がいとも呆気なくばっさりと決断してしまった。話し合いは次のステージに移行したので柚木はそのまま続ける。

「で。みんなが知ってて、簡単そうな曲、だよね」
「僕は最近流行の曲ならおおよそ押さえてるけど……」
「俺はそうでもないな。知らない曲だとまるっとお手上げだ」
「……えーと。最近の流行の歌はあまり……」
「僕は、よく聞く曲ならおおよそメロディは追えるとは思うんだけど。じゃあ歌えと言われるとちょっと自信ないかな」
「おれは、どうかなあ。大体は押さえてるつもりなんだけど」

 ――そうじゃなく、具体的に曲を出さないと、全然どうしようもなく決まらないじゃないですか! と香穂子はこめかみをこっそり押さえたりもした。

「かといってクラシックの曲をギターとかで演っても、普通科の子たちが分からないだろうしね」
「ああ、そうですね。そういうバンドもアリだとは思いますが、『みんなが知ってる』って辺りでややマイナスかと」
「でもそれはそれでおれ達っぽくない? 元々音楽科と普通科の混成だし。ほら、テレビとかでよく聞くようなのでさ。それならどうにか」
「そう、ですね。僕もそれならどうにかできるかと……」

 おおよその線が見えてきた辺りで、それまで考え込んでいた月森が、ぼそりと声を上げた。

「音楽科にも普通科にも馴染みのある曲と言ったら、校歌、ではないだろうか」

 ざっ! と効果音がつきそうな勢いで、その場にいた全員の視線が一斉に月森に集中し、瞬間、月森はこれがいわゆる『外した』と言われる状態なのだろう、と思い、
「すまない。今の発言は撤回させてく……」
 と言いかけたのだが、

「いや、それいいんじゃねえの? 確かに、『最もポピュラーな曲』には違いない」
「うん、それ、いいんじゃない? その案、貰っちゃおうよ」
 二年生二名に簡単に受け入れられてしまい、彼の精一杯の謙虚さは完全に空を切ったのだが、そんな月森の心情は完全にスルーされ話は進んでいった。

「そうしたら、えーと。月森。ギター任せるね。僕、ほら、まだ校歌覚えてないから。志水くん、パーカッションどれか回して。あ、マラカスでいい? で、後のメンバーはパートそのままでいいよね」
「うん、問題ないんじゃない? 校歌だったらリズムもメロディも分かってるし」
「そうだね。問題ないと思うよ」
「えーと、校歌、ですね。頑張ります」
「ちょっと、というかかなり不安なのだが……」
「何とかなるだろ、何とか。……よっしゃ。決まったんなら、もう一発ガツンといきますか」
 加地がいつの間にかざっくり仕切り、土浦がざっくり締めくくり。
 あっという間に話し合いは終了してしまった。
 月森の不安はそっちのけで。

「えーと、わたしは」
「日野さんは、そのまんま。頑張って歌ってね」

 かくして。
 熱狂的な声援を受け再び登場した彼らの演奏した『星奏学院校歌』はやはり熱狂的な声援と、それ以上の笑いで迎えられたのだった。

「しっかし、校歌持ってくるとは思わなかったよー。やられたなあ」
「それを言うならまさかアンコールがくるとは思わなかったよ。やられたー」
 後夜祭の合い間。冬海、天羽とのひとときのおしゃべりは天羽とのやられたの応酬で始まった。当然ながら、アンサンブルの話題と、バンドの話題でひとしきり盛り上がる。

「でさ、誰か一体校歌やろうって言い出したの」
「……月森、くん」
「ええええええええええええええ! つきもりくんなのお!」

 香穂子が月森を慮って、控えめな声量で返したその答えに、驚いた天羽は再び大声を張り上げる羽目になり、集まってきた生徒達の注目を一身に集めてしまった。
 その後、結果として、翌日のアンサンブルコンサートはたくさんの観客を集めることが出来たのだから、怪我の功名としてくれ、と月森にひたすら弁解し続けることとなった。