after words[03:Lucio]

『そのしきは「せいきのうえでぃんぐ」とよばれ。
 ふたりは、たくさんのひとにしゅくふくされ、しあわせにむすばれました』

 色とりどりにデコレーションされたSGでの凱旋飛行が済み、エリュシオン船内では、披露宴を兼ねたパーティが始まった。食堂スタッフの心づくしの料理や、内外から集まった様々な人々(例えば、カタリーナがどうしても来てくれとラルフを引っ張ってきたりなど)にふたりは心から喜んだ。様々な祝いの言葉を貰う度にふたりで礼を返していった。

「お二人とも、今日は本当におめでとうございます」
「副艦長、サンキュ」
「雪乃さん、ありがとうございます」
 雪乃からの言葉もそのひとつだった。祝いの言葉を受け取り、礼を返す。

「ところで」
 彼が、眼鏡のズレを直すべくブリッジに人さし指を置く。それが彼の『お説教モード』のスイッチオンの合図であることをよく知っている藍澄に戦慄が走る。何、言われるんでしょうか。心当たりを頭の中で勢いよく検索する。

「先程のSGのデコレートについて、申請書の類を頂いていないのですが」

 ホラヤッパリキタヨ! と藍澄は傍らのルシオに肘で合図を送る。が、
「うん、昨日思いついて突貫工事でやっちゃった! やっぱせっかくの式だし、ぱーっと行きたいなって」
 全く気にしていないかのようににこにこと答えきった。
「ええそうですね。凱旋を見に来てくださった方々は喜んでくださったようですね」
 にっこり。ここは祝いの席ですしね。とでも言いたげに微笑まれる。
「だよね! みんなには受けてたし、結果オーライでよかったかなって」
 にこにこと幸せ全開の笑顔でルシオも笑う。ルシオくん、ルシオくん、雪乃さん、表情は笑ってますけど、目が笑ってないです! これは怒ってる雪乃さんですっ、と日頃ブリッジである意味怒られ慣れている藍澄は身を縮める。
「ですが。あのSGはルシオさんの所有物ではありませんね?」
 かきーん。多分今、雪乃の眼鏡は光った。
「あ、うん。エリュシオンの、というか、厳密に言うと今だと宇宙資源機構平和維持軍の、だよね」
「その通りです、ルシオさん。と言う訳で電信を預かってます。全部プリントアウトしてきました」
 バサバサバサ、とルシオの手の上に紙の束が降りてきた。
「内容はですね、『あれはどういうことだ』『聞いとらんぞ』『全くもってけしからん』『和平のアピールの一環とは言えやりすぎだ』とかまあそんな感じです」
 一息置いて、更に続ける。
「で、ここからが本題なのですが」
 先刻ルシオの手に置いた紙の束を引き上げて、新たに一枚置く。
「まず、この申請書にお二人のサインを。事後申請となってしまいますが、仕方ないでしょう。それから、本日中に該当SGについては原状復帰の上、映像データ添付の上で復帰報告書を出してください」
「え、今日中、ですか?」
 それまで傍らで話を聞いていた藍澄が口を挟んだ。
「ええ、本日中、です」
「あの、雪乃さん。今日これからって片付けやいろいろでバタバタすると思うんですが」
「ええ、存じてます」
「それでも?」
「当然です……はぁ。むしろこれで済んでよかったと思ってください」
 あいた、と言いたげに有能な副艦長氏はこめかみに人差し指を置き、おなじみの溜息をついた。
「上からは始末書の提出とか、罰金だとか、処分の詳細だとか、色々と小うるさいお話も降りてきていたのですが、お祝い事だし、和平のシンボル的な式典にしようという広報的ないろいろでこの程度でいいじゃないですかってことに収まったんです。と言うかこちらからも働きかけて収めていただいたんです」
「……それは。ありがとうござい、ます」
「そういう訳ですので、お二人で、可及的速やかに原状復帰に勤しんでください。『ご夫婦初の共同作業』となりますね」
 えー、と帰ってきたおふたりの声は耳にしなかったことにします。と、彼はにっこり笑って(るけど目はやっぱり笑ってない)結婚式挙げたてほやほやの二人に言い置いた。

『というわけで、すうじかんまえまでいわいのせきのちゅうしんにいたはずのふたりは、
さぎょうふくにきがえてかくのうこでおかたづけにはげむのでした』

「ルシオくーん、こっちのリボン全部終わったよー」
「んー、オッケー。こっちも大体終わったー。そのまま裏っ側回ろっか」

 始めてみると、二人でやっているからか、作業そのものが楽しく感じてくるから不思議だ。奥に回り込んでる箇所を雑巾でごしごしこすり、元の金属の光沢を確認できた瞬間であったりとか、ぺったりと貼り付けられている装飾をバリバリと音を立てて剥がす瞬間が何とも言えない。

「あ、そっちまだペイント残ってる」
「マジ? あ、マジだ。藍澄、雑巾ちょうだい」
 分かったー、と返事しつつ、足元に置いていたバケツの淵に掛けておいた雑巾を取るべく屈みこみ、軽く水で濯いで絞る。それを渡そうと勢いよく立ち上がった瞬間、藍澄の視界が暗くなる。しまった。立ちくらみだ。そう思った時にはがくりと体が傾いでいた。まずい。彼女が今立っているこの場は作業用の足場で、当然ながら、ばったりと倒れこんだ人を受け止めるべき足元までは相当高さがある。そこまで考えは回るのだが、傾いだ体を立て直すことは出来ずに。

「……藍澄っ」

 流石敏捷性を求められるSGパイロット、と言うべきか。
 次の瞬間、彼女の体は腰にしっかりと巻かれた彼の腕によって支えられていた。

「……ごめん、ちょっと立ちくらみみたい」
「ちょっと休む? もうあと一息だし」
 ゆっくりと支えた藍澄を足場の一角にSG本体を背もたれにして座らせる。座らせてしまったら狭い足場でもそれなりに安定する。
「ん……、ごめん、ちょっとだけいい? ちょっと座ったら血も回ると思う」
「りょーかい。んじゃ、ちょっと待ってて。飲み物何か持ってくる」
「え、大丈夫だよ。すぐ治るから」
「いや、ちょっと小腹すいてきたから、ついでに何か食べるものも貰ってくる!」

 足場から軽い足取りで駆けだしたルシオを見送り、ふう、と一息つく。
「……もっと体力つけないと」
 今日一日はかなりあれやこれやとあったから、仕方ないとは言っても、仮にも軍人なんだから、これくらいでへたっていては務まらない。エリュシオンに搭乗してからは度々トレーニングルームを使わせてもらっていたものの、任務が厳しくなるにつれてそれどころじゃなくなってしまった……というのも言い訳か。これでは、一人前の艦長となるにはまだまだ先が長そうだと思い、自己嫌悪に陥りそうになる。
「って何考えてるの。今日はおめでたい日なのに」
 頭を左右に振って、ループしそうなマイナスの感情を振り払う。ぱん、と軽く頬を叩く。うん、ちょっとすっきりした。大丈夫。

「ルシオくんにも心配かけちゃった。後で謝らなきゃ」
 背中のSGにゆっくりと体重を預ける。二人がかりで磨いたボディがきらりと光っていて綺麗だなあ、とぼんやりと思う。見上げると目にまっすぐに飛びこんでくるオレンジ。ルシオ仕様にカラーリングされたそれは、彼の気質そのままのようで。
「おひさまみたいだなあ……」
 それがSGのカラーリングに対してなのか、それを駆るルシオに対してなのか。恐らくは後者だろう。一緒にいるだけで、心の中が満たされる。彼がいてくれたからとんでもなく大それた決断だって下せた。改めて自分の心の中の彼の存在感の大きさを思い知る。おひさまがあるからすこやかにすごせる。
「……? ってそれだとわたしは植物になるの?」
 おひさまがなくてはならない生き物。あまりにも単純な発想に藍澄は苦笑しつつ、妙に納得もしていた。
「そっか。――ルシオくんで光合成してるんだ」
 左手を頭上にかざす。数時間前に交わした誓いの証たる指輪が照明の光を受けてきらりと光る。ふふ、と頬が緩む。彼は生きるのに必要な力を与えてくれる、そんな存在なのだと。何だか少し照れくさいが、本心でもある。

 ふいに、その手に別の手が重なった。

「え、何? 光合成がどうしたの?」
「みぎゃ! る、ルシオくん! お、おかえりなさい!!」
「うん。ただいま。ほい、お茶でよかった?」
 差し出されたドリンクボトルを受け取る。外側もひんやりと冷えているのが心地いい。そのひんやりを堪能しながらとりあえず話題の切り替えを試みることにした。さっきの照れくさい台詞は忘れていただきたい。
「ありがと。何か食べられた?」
「うん。パーティで出た料理とかまだちょこちょこ残ってておばちゃんとか捨てるのもったいないって困ってたから、結構片付けてきた」
「そっか、よかったね」
 どのくらい残っていたかは聞かないことにしよう。
「ん。小腹は満たされたって感じ。早く晩飯の時間が来ないかな。でさ。光合成って何?」
 ――忘れられていなかった。
「えっと、な、なんでもないですよ?」
「そう? 何でもないの? なんかさ、ルシオがどうのとも聞こえたんだけど、気のせい?」
 ソコモキコエテマシタカ。
「き、きのせい、ですよ?」
「そう? なんだ、同じかと思ってたのに」
 重ねられたままの掌から、体温が伝わってくる。温かい。
「同じ?」

 重なった手はきゅ、と握られて。

「うん。俺と同じかな、って。俺、藍澄にいっぱい元気とかもらってそれでやるぞーって元気になってるから。何かそれってまるで光合成みたいだなって前から思ってて……ひょっとして藍澄もそう思ってくれた? ってちょっとびっくりしたんだけど」
 じ、とまっすぐに藍澄を見据える。……そんな風に言われてしまっては、もう降参するしかないではないか。
「ごめんね、言ってました。わたしも、ルシオくんで光合成してるんだって。……独り言で恥ずかしいから、内緒にしようと思ったの」
「恥ずかしいかなあ?」
「独り言を聞かれるのは恥ずかしいよ……でも。一緒だって分かったのは、嬉しかった」
 目を合わせて。微笑んで。重なった手を握り返して。

「ずっとこういう風にいられたらいいね」
 どちらともなく口にした。

 ずっとずうっと。
 ふたりで手を繋いで。楽しく、仲良く、元気に。お互いがお互いを照らして。
 そうやって、生きていきたいと。

 お互いににっ、と笑って、こつんと軽く額を合わせ。
 そのまま、一瞬、掠めるようなくちづけを交わし。

「んじゃ、残りやっちゃおうか」
 勢いを付けて立ち上がる。
「うん。一気に『ご夫婦初の共同作業』を終わらせます」
「それ、さっき副艦長も言ってたよね? 何で?」
 藍澄は日本式結婚披露宴の決まり文句についてとりあえず説明をしながら、汚れを探す。

 こんな結婚初日も、ありだよね。

「はい、確かに申請書と報告書を頂きました。お疲れ様でした」
 ブリッジで待機していた雪乃に書類一式を提出することが出来、夫婦はやった、と目と目で頷きあった。
「……ですが、画像データの3枚目は削除させていただきます。お二人での記念撮影はどうぞ新婚旅行に出た際にでもやってください」
 所謂『新婚ほやほやラブラブ2ショットSGの前で記念撮影しちゃいました』な写真データを原状復帰のそれとして提出されても困るのですが、といつもの困ったポーズでコメントし、プライベートフォルダに入れそびれたミスに気付いた二人が慌ててそれを消去しようとして、提出するはずのデータを消しそうになり、落ち着きなさいと再度注意されるはめになるのだった。